能登半島を襲った大地震から早一年が経とうとしている。
地震がもたらした甚大な被害と、そこから始まった長く険しい再建の日々。能登の人たちにとって、あの元日は「当たり前の生活」が一瞬にして奪われた日となった。瓦礫の山となった街並み、途絶えたライフライン、不安と恐怖に包まれた日々。あのときの能登の状況はなかなか言葉だけでは伝えられないが、その惨状を前に「これが本当に現実なのか」と信じられない気持ちだった。
珠洲市宝立町鵜飼(2024/2/7撮影)
能登の写真家として、この地震をどう記録し、どう伝えるべきだろう。悩みながらもとにかく撮影を続けた一年だった。記録を始めた頃、東北で震災を経験された方が伝えてくれた「焦らないで大丈夫。必ず復興しますから」という言葉がずっとずっと頭にある。
輪島朝市:輪島市河井町(2024/1/22撮影)
5年後、10年後に僕自身は一体どこで何をしているかはわからないが、これから能登がどのように変わっていくのか、その行く先はしっかり記録していきたいと思っている。地震直後から今に至るまでの僕自身のこと、能登の現状、そしてこれからのことを写真とともに伝えたい。
愛犬との別れ:もう戻らない日常
3月、我が家の愛犬ハルが旅立った。家に帰れば、飛びついて愛情表現をしてくれる優しい子。僕たち家族にとっては最も辛い出来事だった。地震後は金沢の親族宅に居候させていただいていたのだが、動物病院の先生によると、地震のストレスなどにより免疫力が低下することがあるようで、病気が一気に進行したようだ。余震があったときも震えが止まらないときもあった。旅立つ数時間前、家族一人一人の顔を順番にじっと見つめ、何かを伝えているような顔はずっと忘れられない。
我が家の愛犬ハル
家族にとって、愛犬は日常のど真ん中にあった存在。どうしても戻ってこない日常があって、その心の隙間はなかなか埋められない。このときほど「地震さえなければ」と思ったことはなく、精神的にもだいぶ落ち込んでいた時期だった。「頑張る」とか「前を向く」と言いながらも、それは辛い気持ちをまるで切り落としていくことなのかなと感じた。
旅立つ2日前まで散歩していた愛犬ハル
同じ時期、罹災証明書が発行され、生活再建支援の全容が見えてきた(半壊の判定で、2025年に公費解体予定)。とにかく3月までは激動で、家族の安否確認から救出、二次避難所・みなし仮設入居探し、そして被災地の記録撮影まで長い道のりだった。能登半島の色々な地域を回っていると、今でもあの日あの瞬間、色々なシーンが頭に浮かぶ。今思えば、こういう状況で自分にいったい何ができるのか、試されているような感覚だった。
能登の現状:1年の記録
以前「Documentary Photos: 2024 Noto Peninsula Earthquake」でも紹介したように、僕は1月中旬から能登半島をまわって「被災地の記録」を始めた。目の前に広がるのは、悲惨な光景ばかり。その時点では、復興のイメージなど到底思い描けなかった。数か月が経っても状況は大きく変わらず、「復興が遅い」というネットニュースを目にすることもあった。個人的には、まずは復旧・復興の一歩前、「応急処置」をしている段階だと感じていたので焦りはなかった。この状況で復旧作業を進めることは、決して簡単なことではない、ときっと能登の人たちはわかっている。
珠洲市宝立町鵜飼(2024/1/24撮影)
輪島市町野町(2024/2/1撮影)
白米千枚田:輪島市白米町(2024/3/11撮影)
能登鹿島駅:穴水町曽福(2024/4/15撮影)
流れが変わり始めたのは、のと里山海道が全線対面通行可能になった7月あたりだろうか。被災家屋の解体作業が本格化した。特に7月以降、公費解体のペースが加速し、石川県の発表では11月末時点で約1万棟の解体が完了したという。これは公費解体見込みの約3割に相当し、復旧作業が着実に進んでいることを実感することができた。
のとキリシマツツジ:能登町石井(2024/4/26撮影)
平等寺:能登町寺分(2024/6/21撮影)
あばれ祭:能登町宇出津(2024/7/6撮影)
輪島大祭:輪島市河井町(2024/8/23撮影)
一方で、解体が進むにつれ、かつての集落が次々と更地へと姿を変えていっている。倒壊した家屋が並んでいた場所は平坦な土地になり、草木が生い茂り始めている。初めて訪れる人には、そこに家々があったことすら分からない光景が広がりつつある。復旧と復興の過程にある現在、地域の景観やそこにあった記憶が静かに失われていくのを感じた。
輪島市門前町井守上坂(2024/9/27撮影)
輪島朝市:輪島市河井町(2024/10/9撮影)
平等寺:能登町寺分(2024/11/14撮影)
能登町白丸(2024/12/5撮影)
Identity:これからの能登
あの混乱に満ちていた1月や2月、悲惨な状態の被災地を撮影していた僕にとって、その記録が今後、どのような意味を持つのかあまり考えていなかった。それが約1年経った今では、もしかすると自分にしか伝えられないことがあるのではないか——そう思い始めている。
珠洲市折戸町(2024/11/27撮影)
能登には古くから受け継がれる文化や伝統、移り変わる四季が織り成す風景、どこか懐かしさを感じさせる人々の営みがある。そしてこれから復興に向けて変わりゆく景色も、変わらず残るものも、これらは全て能登の未来を切り拓くための大切な財産になると信じている。
珠洲市狼煙町(2024/11/27撮影)
能登半島は僕が写真を始めるキッカケになった「原点」のような場所。これまでの能登での写真活動自体が僕の生き様であって、写真家としての自分自身の存在意義だと思っている。写真を通して復興の歩みを記録し続け、その現実と向き合う中で、自分自身の再出発も模索していければと思う。